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彼は、絵画における伝統的な規範画法を排除し、彼の芸術における新しい手法を見出すことに強い情熱を注いだ。19世紀末社会が退廃していた時代、象徴主義とモダニズムの誕生が与えた社会に対する激しい興奮がロップスに大きな衝撃をあたえ、彼自身興奮の渦に身を投じていった。 自ら風刺雑誌を発行し、版画などを作成していたロップスは、彼自身の芸術の「リアル」さを求め、1874年当時風俗文化の自由な流れの中心でもあったフランス・パリに移住。パリの街の華やかさの中に、偽善的モラルで覆い隠されていた、人間的欲望、エロチシズム、悪魔主義、社会批判などを見出し、人間本来の自然な姿として描いていった。またパリでは、文学者たちのサークルに出入りし、当時の作家たち:ボードレール、ペラダン、バルベー・ドールヴィイ、マラルメなどから挿絵を依頼さることとなる。ロップスほど文学者の作品に挿絵を描いた画家も珍しいが、都会の頽廃と悪徳の美のようなボードレール的作風は彼の得意とするところであった。当時の社会暗部にメスを入れた作品は多くの批判の声を浴びせられながらも、新しい戦慄を当時の人々の心に呼び覚ますこととなる。 1878年には、代表作『聖アントワーヌの誘惑』を、1882年には新しい版画の技術(ソフト・グランド・エッチング)を使用した作品『サタンの業(5枚シリーズ)』を製作。1898年フランスのエソンヌで死去するまで、ロップスは新しくも優れた画法を極めることに固執し、傑出した作品の製作に力を惜しまなかった。 現在残された作品の中に、彼が求め続けた優美でありながらも大胆な芸術表現を堪能することができる。 |
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