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ベルギーはお菓子のおいしいことでも有名。特に、コクのあるまろやかなチョコレートにかけては右に出るものがない。ゴディバ、ノイハウス、レオニダスなどなど、そのブランドも数えきれない。
ほかにも甘くスパイスをきかせたビスケットのスペキュロスや、ワッフル(ゴーフル)、そしてケーキなどが豊富に揃っている。ブリュッセルの老舗、「ダンドワ」やディナンの名物クッキー「クック・ド・ディナン」など、お土産に欠かせない。
 チーズの種類も豊富。ビール同様、修道院で造られたのが始まりで、その後、一般に広がったといわれている。主なものでは、「フロマージュ・ブラン(Fromage Blanc)」と「フロマージュ・ド・ブリュッセル(Fromage de Bruxelles)」が有名で、ニヴェルの郷土料理「タルト・ア・ラ・ジョート(Tarte à la Djote)」はチーズだけでも一食分はあるほどのボリュームだ。
 
 ベルギーにチョコレートが入ってきたのは、スペイン、イタリア、フランスに次いで18世紀後半のことであった。
 前世紀初頭までは一部の上流階級を除き、その消費量はごく僅かであった。この現実とは矛盾するが、当時の金銀細工師が技を競って作ったのは、チョコレートを淹れたり、飲んだりするための本物の金銀製の容器製作であった。チョコレート史上において最も注目すべき点は、チョコレートは長い間大人のための飲み物であったことだ。発祥の地、西インド諸島ではチョコレートは男性用の辛みをつけた飲み物であった。
 スペイン人がチョコ レートを飲み始めるようになって、聖職者やご婦人方の口にも合うように、砂糖とバニラで甘 味をつけるようになった。
 かくしてチョコレートは貴族階級の好む飲み物となる。この流行はバスティーユの陥落とともに終わる。19世紀になってもチョコレートは大人の特権的飲み物であった。健康によいと 言われ、体調の悪い時などに飲まれた。当時のチョコレート製造者には薬剤師出身者が多かった。1850年にはすでにベルギーにはたくさんのチョコレート職人がいた。
 今世紀に入り、ベルギー・チョコレートは宣伝や世界博覧会への参加などにより、めきめきと評判をあげた。1920年代には、チョコレートブームが沸き起こる。これはいわば、チョコレートの大衆化ともいえるもので、当時のカカオ豆の暴落などの経済的背景、機械化による大量生産、業社間の競争、生活水準の向上、意識改革などの要因が相まった結果である。
 30年代になるとチョコレートは日常的な食品となり、誰にでも、特に子どもにも手の届く ものとなった。戦時中にはチョコレートも欠乏した。が、トミー(英国兵)とGIのチョコと ともに世界に笑い声が戻った。
 50年代には映画も、歌も、文学までもがチョコレートに夢中になった。子どもの誕生日や、サン・ニコラ祭、イースターにはチョコレートは欠かせなくなった。チョコレートはその甘い香りを嗅ぐ時、誰しもが子供時代への郷愁にそそられるという不思議な力をもつ。
 
 ベルギー人はご自慢のベルギー・チョコレートを決して「チョコレート」と呼ばず、「プラリネ」と呼ぶ。中にナッツ・クリームなどを詰めたチョコレート“プラリネ”の呼び名は17世紀フランスで時の国王ルイ18世のためにプラリネを創造したといわれるプレシス・プララン公に由来する。
 1912年、ベルギーでプラリネを最初に造ったジャン・ノイハウスは、3年後の1915年、バロタンと呼ばれる、こわれやすいプラリネを運ぶための小箱を発明した。バロタンはそれ以前に使われていたコルネ型の入れ物にあっという間に取って代わり、現在ではすべてのチョコレート店でバロタンが使われている。
現代、プラリネの製造行程の一部は機械化されているものの、その繊細な形やデコレーションは職人の腕の見せどころ、形と味は何百種類にも及ぶと言われる。
 
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